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栄一翁の人生訓第8話:失敗と卑屈さを克服する

TOKAI RADIO 2026年3月23日放送

人は生きていく上で失敗を避けて通ることができません。失敗によって卑屈にならないために渋沢栄一は責任感と執着力、誠意を持った行動を促します。次世代を担う若者が挫折によって自暴自棄になってしまうのではなく、謙譲心と信念を持って前進できるように渋沢は期待を込めます。

栄一翁の人生訓第7話:責任感・執着力・誠意

TOKAI RADIO 2026年3月16日放送

目先の利益や評価に囚われると視野が狭くなり、短絡的な判断に陥り社会からの信用を得られないーーこれは社会的地位を得ようとする人にとって負の循環を呼び込む構図であることはいつの時代でも同じです。
渋沢栄一は負の循環を断ち切るために責任感と執着心、誠意を身につける不断の修養を求めます。 リスクを避け効率を求める現代の若者にとっては「遠回りな手段」として映る渋沢の提言について、若者の意見を交えてその真意を考えます。

栄一翁の人生訓第6話:先人への敬意

TOKAI RADIO 2026年3月9日放送

渋沢栄一は若者の活力に期待を寄せる一方で、幕末から明治に活躍した先輩たちを「時代遅れ」として受け入れようとしない風潮が先人と若者との心の溝を深め、若者の不平不満につながっていることを懸念していました。
橋口教授はこの世代間の軋轢を現代に転写するために、大学生が作成した少子化と未婚化に関するレポートを取り上げ、その解決を探ります。

栄一翁の人生訓第5話:空想と理想

TOKAI RADIO 2026年3月2日放送

渋沢栄一は近代の若者が、評価や報酬に固執して「功を焦りすぎている」と苦言を述べ、正当な社会的地位を得るためには「理想と空想」との違いを知る必要があると説きます。
橋口教授は、栄一翁の「理想」は社会との繋がりを前提とする目的・行動を伴ったものであることを示し、現代の大きな社会変化の中で、若者が「理想」を見出していく道筋を探ります。

栄一翁の人生訓第5話:空想と理想

TOKAI RADIO 2026年3月2日放送

渋沢栄一は近代の若者が、評価や報酬に固執して「功を焦りすぎている」と苦言を述べ、正当な社会的地位を得るためには「理想と空想」との違いを知る必要があると説きます。
橋口教授は、栄一翁の「理想」は社会との繋がりを前提とする目的・行動を伴ったものであることを示し、現代の大きな社会変化の中で、若者が「理想」を見出していく道筋を探ります。

栄一翁の人生訓第4話:「青淵論叢」を討論する

TOKAI RADIO 2026年2月23日放送

渋沢栄一の著書「青淵論叢」の中の「第4章現代青年の短所と通弊」を大学生がどのように受け止めるかを検証した栄一翁の人生訓シリーズの最終話。100年前の偉人の言葉は、若者が置かれている社会的環境や時代の変化によって新たな解釈が求められます。その解釈をめぐり、議論を深め反論を加えることで先人の知恵を「現実的なもの」として活かすことができます。

栄一翁の人生訓第3話:人間関係の捉え方

TOKAI RADIO 2026年2月16日放送

大正、昭和初期の日本は、経済の発展に伴って人々の謙譲心が薄れ、利己的な考え方が広がり始めていました。道徳心を重んじる渋沢栄一はこの社会風潮を懸念していました。
現代でも人間関係の希薄化が問題となっています。さらに若い世代では人間関係をリスクと捉え、それを回避しようとする傾向があると言われています。 その実情を、大学生の人間関係に関するレポートから確認します。

栄一翁の人生訓第2話:現代の成功と評価

TOKAI RADIO 2026年2月9日放送

「青淵論叢」において渋沢栄一は、修養や努力をせず「中身のない」成功と評価の求める若者に疑問を投げかけます。この渋沢の苦言に対する慶應義塾大学の学生の意見を掘り下げることで、社会的、環境的な変化に対応しようとする現代青年の姿が浮かび上がります。

栄一翁の人生訓第1話:現代の若者の視点

TOKAI RADIO 2026年2月2日放送

渋沢栄一の談話集「青淵論叢」の第5話「現代青年の短所と通弊」で渋沢は若者への人生訓を遺しています。この100年前の人生訓を、現代の若者がどのように受け止めるかを慶應義塾大学の学生たちとの対話を通じて検証し、現代社会と渋沢の融合を探ります。

歴史から学ぶ第4話:生きた歴史を体得する

TOKAI RADIO 2026年1月26日放送

史実の背景にある人々の思想や営みを考察しながら、多角的に歴史を「読む」ことで、誰でも新しい歴史を発見することができます。その過程で「現在」からの視点が入り込む事によって、生きた歴史となり史実を知ること以上の学びがあります。

歴史から学ぶ第2話:歴史を「教える」

TOKAI RADIO 2026年1月19日放送

歴史への理解を深めることは、個人の見識を高め、国家間の相互理解を促進します。今回は、日本人にとって身近な国際問題、韓国との歴史認識の違いを生み出している日韓双方の歴史教育を取り上げます。
教育が歴史認識に与える影響と、国際問題を相互理解へ進めるための方策、そして歴史教育のあり方を慶應義塾大学の学生の意見を交えて考えます。

歴史から学ぶ第2話:歴史を「教える」

TOKAI RADIO 2026年1月19日放送

歴史への理解を深めることは、個人の見識を高め、国家間の相互理解を促進します。今回は、日本人にとって身近な国際問題、韓国との歴史認識の違いを生み出している日韓双方の歴史教育を取り上げます。
教育が歴史認識に与える影響と、国際問題を相互理解へ進めるための方策、そして歴史教育のあり方を慶應義塾大学の学生の意見を交えて考えます。

歴史から学ぶ第2話:歴史と現在の「位置」

TOKAI RADIO 2026年1月12日放送

橋口教授は慶應義塾大学の学生と歴史の捉え方について対話しました。その対話から「歴史」とは史実の記録や記憶された静的なものだけではない、現在も刻まれつつある動的な歴史を認識することで、歴史を実体的に感じることができ、そして学ことができる、という歴史認識を導き出します。

歴史から学ぶ第1話:「歴史」とは何か

TOKAI RADIO 2026年1月5日放送

新シリーズ「歴史から学ぶ」では、先人の事績の背後にある理念や思想を読み解き、現代の生き方の指針を探ります。第1話では、先人と現代人を「繋ぐ」ために歴史をどのように捉えるかを定義します。

1年間の振り返り

TOKAI RADIO 2025年12月29日放送

今年1年間に放送した内容を振り返り、現代に渋沢栄一の思想を伝えることの意義について考えます。

橋口ゼミの学びと実践第8話:忠恕と教育

TOKAI RADIO 2025年12月22日放送

八基小学校と橋口ゼミとの交流授業は、八基小学校校長の嘉藤央さんの行動力と熱意によって実現しました。
今回は嘉藤校長先生へのインタビューをもとに、教育現場で渋沢栄一の哲学・忠恕の授業に取り組むその姿勢を考察します。

橋口ゼミの学びと実践第7話:栄一翁の理念の継承地

TOKAI RADIO 2025年12月15日放送

深谷市八基小学校での交流授業と、地域活性化をテーマにした深谷市役所職員との討論を終えた橋口ゼミの学生たちは、小島進深谷市長を表敬訪問しました。
小島市長との面談で学生たちは、深谷市の魅力と渋沢栄一を後世に繋ぐ教育現場や施作について感想を述べました。それに対する小島市長は首長の苦悩を率直に学生に伝えます。 その言葉は、これからの社会を形作る学生たちへ忠恕を持った志とその指針を与えるものでした。

橋口ゼミの学びと実践第6話:想像力と共感力の教育

TOKAI RADIO 2025年12月8日放送

橋口ゼミによる八基小学校交流授業で、ゼミのリーダーを務めた学生へのインタビューを基に教育、成長、学びについて考えます。

橋口ゼミの学びと実践第5話:地域課題に向き合う

TOKAI RADIO 2025年12月1日放送

2025年10月3日深谷市八基小学校での交流授業を行った橋口ゼミは、その日の午後にゼミの研究課題である地域活性化について協議するため深谷市役所を訪問しました。
地域活性化のためには人口と少子化、高齢化と福祉、居住区、農業など地域問題の解決する必要があります。ゼミ生たちはそれぞれの問題を担当する職員と個別に討論を行い、研究と「現場」の一致と実践するための方策を探りました。

橋口ゼミの学びと実践第4話:夢を叶える「貯金」

TOKAI RADIO 2025年11月24日放送

橋口ゼミと深谷市八基小学校の交流授業の最後に、ゼミ生が小学生に伝えた言葉から、渋沢研究で得た学びの実践について考えます。
交流授業のリーダーを務めたゼミ生は、自身の経験から、勉強は10年後に後悔しないために必要であり、夢を実現させるための貯金だと語ります。八基小学校の教室には渋沢栄一の理念を表す「夢七訓」が掲げてられており、よりよく生きるためには夢や理想が必要であることを学んでいる小学生にとって、自分たちの10年後の姿、大学生からのメッセージは現実的で実践的に感じることができる言葉のようでした。

橋口ゼミの学びと実践第3話:生き方を考える

TOKAI RADIO 2025年11月17日放送

橋口ゼミと八基小学校6年生の交流授業は、渋沢栄一の生き方、考え方、実業家としての歩みをクイズによって確かめた後、その渋沢の行動をどのように自分たちに取り込むかをグループワークで議論しました。 大学生たちは、小学生たちにも伝わりやすい言葉を駆使しながら渋沢の行動を四項目に集約し、個人と社会の関係のあり方や人生の目標を生徒たち自身の力で考えるように導きます。

橋口ゼミの学びと実践第2話:栄一翁クイズ

TOKAI RADIO 2025年11月10日放送

橋口ゼミの学生が八基小学校で行った交流授業は渋沢栄一に関するクイズから始まりました。 クイズでは渋沢が出会った人、行った場所、関わった事業についてそれぞれ三つの選択肢から正解を八基小学校6年生の生徒たちに選んでもらいました。 すでに渋沢について学習している生徒たちは、ゼミ生が捉えた渋沢像を取り込みながら渋沢の忠恕に基づく行動、事績への理解を深めます。

橋口ゼミの学びと実践第1話:八基小学校の交流授業

TOKAI RADIO 2025年11月3日放送

10月3日橋口ゼミの学生たちは、埼玉県深谷市八基小学校で渋沢栄一をテーマにした交流授業を行いました。八基小学校では郷土の偉人渋沢栄一を学ぶ総合学習や道徳教育に力を入れており、ゼミ生たちの渋沢研究と子ども達の学習との融合が新たな渋沢像を描きます。

橋口ゼミの三重県調査 第9話:調査の総括

TOKAI RADIO 2025年10月27日放送

橋口ゼミの三重県調査 第8話:ヤマモリ 三林会長

TOKAI RADIO 2025年10月20日放送

橋口ゼミの三重県調査 第7話:四日市市長表敬訪問

TOKAI RADIO 2025年10月13日放送

橋口ゼミの三重県調査 第6話:伊藤伝七と四郷郷土資料館

TOKAI RADIO 2025年10月6日放送

橋口ゼミの三重県調査 第5話:川崎克と渋沢栄一

TOKAI RADIO 2025年9月29日放送

渋沢栄一の支援を受けて1915年衆議院議員に当選した伊賀市出身の川崎克は、政治家であり名望家でもありました。川崎克が1935年に再建した伊賀上野城には、川崎の胸像が置かれ郷土の偉人として親しまれています。 川崎克の曾孫、衆議院議員の川崎秀人さんは大学卒業後一般企業に勤め、その社会経験から大学教育改善の必要性を実感し政治家へ転向しています。 ゼミ生たちは川崎秀人さんとの懇親会を通じ、かつて渋沢栄一と理念を共有した川崎克の志を受け継ぎ行動する政治家の実学を学びました。

橋口ゼミの三重県調査 第4話:伊賀上野・川崎克

TOKAI RADIO 2025年9月22日放送

三重県伊賀市出身の政治家川崎克は、1915年に参議院議員総選挙で初当選し1946年まで政界の要職を務めました。川崎は当時の日中関係の悪化を憂慮し、軍部が主導する国政への反対を唱え政治家の道を決意し渋沢栄一の支援を受けています。 この時の渋沢は軸足を実業界から社会福祉と国際親善に移行しつつあり、川崎への支援は渋沢の意図が表れています。 川崎は1935年、郷土の象徴となる伊賀上野城を再建し地域振興を図ります。現在、伊賀上野城天守閣には川崎と渋沢の関係を示す資料が展示されており、国際平和と地域振興の理念によって結びついた2人の業績を伝えています。

橋口ゼミの三重県調査 第3話:ミキモト真珠島と渋沢栄一

TOKAI RADIO 2025年9月15日放送

三重県鳥羽市のミキモト真珠島は、御木本幸吉が1893年に世界で初めて真珠の養殖に成功した場所です。その養殖真珠がミキモト真珠として世界に知られるまでには、渋沢栄一の支援がありました。御木本の真摯な努力と、真珠で女性を輝かせたいという熱意、そして地域の発展を願う利他心が渋沢に届いたと考えられています。
渋沢の足跡を調査したゼミ世たちは、渋沢が経済的な効果だけではない、人と人との繋がり、御木本の情熱が渋沢を動かしたことに注目します。

橋口ゼミの三重県調査 第2話:伊勢神宮と渋沢栄一

TOKAI RADIO 2025年9月8日放送

明治30年全線開通した三重県津市と伊勢神宮を結ぶ参宮鉄道(現JR紀勢本線・参宮線)は、渋沢栄一がその建設に関与しています。渋沢は産業が盛んな北勢地域だけでなく、人々の心の拠り所としての伊勢神宮の存在に意識を向け、南勢地域の発展に寄与しました。
橋口ゼミの学生たちは、現在の神宮周辺の商業の発達と、多くの参拝者が訪れる観光地としての「身近な伊勢神宮」の姿に渋沢が及ぼした影響を感じ取ります。

橋口ゼミの三重県調査 第1話:渋沢栄一と地域振興

TOKAI RADIO 2025年9月1日放送

地域活性化に向けた歴史的研究と提案を行っている慶應義塾大学の橋口勝利研究会は、2025年8月18日から20日までの3日間、渋沢栄一が三重県の地域振興に与えた影響を調査しました。 ゼミ生たちが捉えた、地域から見た渋沢栄一を全9回にわたって伝えます。

進化する「論語と算盤」第8話:成功とは何か

TOKAI RADIO 2025年8月25日放送

「論語と算盤」第10章「成敗と運命」で渋沢栄一は、成功や失敗という価値観から抜け出して、正しい行為に努めるなら、より価値のある生涯を送ることができるのだから、成功とか失敗を気にする必要はまったくない、と述べています。
橋口ゼミでは、この渋沢の思想を基に成功の本質を議論し、運命との関係性を掘り下げることで、渋沢の説く生き方を考察します。

進化する「論語と算盤」第7話:情誼と親孝行

TOKAI RADIO 2025年8月18日放送

渋沢栄一は「論語と算盤」第9章「教育と情誼」で儒教に基づく教育と、その思想の根底にある「情誼」、つまり心の通った親しい交わりを親孝行の観点から論じています。
橋口ゼミではこの親孝行について議論がなされ、あるゼミ生は親孝行とは「親から貰った『もの』を返すこと」であり、子である自分を応援してくれる親へ恩を返す心情と行為だと述べます。 この意見は、親と子の相互関係によって孝行が成立するとする渋沢の思想に通じ、親子であっても「情誼」の心を持つことで人生を豊かにすることを示唆しています。

進化する「論語と算盤」第6話:「戦争」を体感する

TOKAI RADIO 2025年8月11日放送

慶應義塾大学日吉キャンパスには、太平洋戦争末期、旧帝国海軍司令部が置かれた2600mにも及ぶ地下壕が残されており、現在は地下壕保存会がその歴史を伝えています。
慶應義塾大学橋口勝利ゼミの学生はこの地下壕を見学し、終戦前年の1944年にわずか数ヶ月で軍事中枢施設を地下に作らなければならなかった戦況を感じ取り、自分たちと同じ年代の若者が特攻隊として最後の通信を送った場所で「戦争」の一端を体感しました。
ゼミ生たちは、渋沢栄一が民間外交によって回避しようとした「戦争」が今でも自分たちの「足元」に横たわっている現実を知り、平和で豊な国づくりの使命を我がこととして渋沢の理念に想いを寄せます。

進化する「論語と算盤」第5話:模倣と競争

TOKAI RADIO 2025年8月4日放送

「論語と算盤」第7章「算盤と権利」において、渋沢栄一は道徳的経済活動の実践について述べています。その中で経済競争には、知恵と努力による「善意の競争」と他人の成果を掠め取る模倣による「悪意の競争」があり、「悪意の競争」は信用を貶めるとして戒めています。
橋口ゼミの討論では、模倣が悪なのか?が議論の中心となり、先発技術・商品の模倣と改良との境界が曖昧であることから善悪の判断が難しいこと、さらに、模倣は売り手だけの問題ではなく、買い手の消費行動が「悪意の競争」を助長していることから、渋沢の論理は不十分であることが指摘されました。
買い手の経済リテラシーに議論が及ぶことによって、道徳経済の実現には社会全体が道徳に基づく判断力を持つことが不可欠であると導き出され、渋沢の言葉を現代に発展させます。

進化する「論語と算盤」第4話:道徳経済を再考する

TOKAI RADIO 2025年7月28日放送

「論語と算盤」第4章「仁義と富貴」で渋沢栄一は論語を根拠に「お金儲け」と道徳とを結びつけています。現在の研究では、この論語の解釈は「論語と算盤」の核心でありながら渋沢独自の解釈とされています。
橋口ゼミでの議論では、なぜ渋沢は孔子の言葉を読み替えたのかその真意を考究し、あるゼミ生はプロテスタントの労働倫理との共通点「許し」を見出します。 さらに討論では、新自由主義に象徴される競争社会により貧富の格差が拡大する現代の社会問題を、ゼミ生の実体験や自己の「心」に問いかける議論を重ねることで理解を深め、渋沢が切望した道徳経済の真意義を探ります。

進化する「論語と算盤」第3話:「習慣」の本質

TOKAI RADIO 2025年7月21日放送

渋沢栄一は「論語と算盤」第3章の「常識と習慣」の中で、バランスの取れた智・情・意(知識・感情・意志)が「信用」につながることを説いています。
橋口ゼミでの「信用できる人とは」の議論においても、智・情・意のいづれかに偏った人は信用されないことが導き出され、渋沢の考察は現代でも不変であることがわかります。 また、渋沢はこのバランス、つまり「常識」を持ち、自己修養を「習慣」化することで人間性を高めるとしています。
この「習慣」の本質とは何かを、ゼミ生たちの議論を基に解説します。

進化する「論語と算盤」第2話:信用できる人の見分け方

TOKAI RADIO 2025年7月14日放送

渋沢栄一は「論語と算盤」の第1章「処世と信条」で、人を信用し事業を任せる適材適所を常に工夫していると述べています。橋口教授の研究では、渋沢が人の信用を見極めるため、その人の「行為・動機・満足」を面談によって確認していたことが明らかになっています。
橋口教授はゼミにおいて「処世と信条」を取り上げ「信用できる人」について討論しました。そこで出されたゼミ生たちの意見から、「処世と信条」の真意と現代青年の思想を照らし合わせます。

進化する「論語と算盤」第1話:理解と討論

TOKAI RADIO 2025年7月7日放送

慶應義塾大学の橋口教授は、渋沢栄一の思想を理解することが人間形成や生き方により良い影響を与えると考え、「論語と算盤」を題材に授業を行なっています。
「論語と算盤」を理解するための討論では、正解を設定しない、渋沢に対しての反論を歓迎する、自説を変えても良いなど、多様な学部生それぞれが興味を持てるようなルールを決め、自身の思考と渋沢の思想と照らし合わせ、そして消化することで生き方の指針となる学びを得ることを目指しています。
「進化する『論語と算盤』」シリーズでは、橋口教授と学部生との対話を通じて渋沢の思想が現代にどのように捉えられ「進化」していくのかを考察します。

「処世の大道」から学ぶ 第8話「栄一翁の『英雄』とは」

TOKAI RADIO 2025年6月30日放送

「処世の大道」に登場する「英雄」の生き方を学ぶシリーズの最終話は、木戸孝允に関する記述から渋沢栄一が「英雄」を語る意図を考えます。 渋沢は維新三傑である西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允のいづれも「凡庸の器にあらざる」と評しそのカリスマ性を示唆しています。
橋口教授は、維新三傑に共通するカリスマ性、つまり寡黙さと行動・実現力、そして「義」が幕末明治期の人々の心を引き寄せ、大局的に日本を動かした要因であることを指摘します。しかし近代化が進むに従って国政やさまざまな組織が分業・専門化して、カリスマ性よりもその分野に特化した「凡庸の器」が求められる様になります。その結果、大局を見ることができず、目の前の利益を優先し「義」がなおざりにされる時代へと変化していく世相に対し、渋沢が日本人としての誇りを保つために立ち返るべき生き方を「英雄」に求めたと考えられます。

「処世の大道」から学ぶ 第7話「豊臣秀吉と栄一翁」

TOKAI RADIO 2025年6月23日放送

渋沢栄一は「処世の大道」の中で決断力、行動力で天下統一を果たした豊臣秀吉を評価しています。秀吉の行動原理は「大義」に基づいており、主君織田信長への忠信を尽くしたその生き方は渋沢が繰り返し説いた人を敬う精神を体現するものでした。
橋口教授は、渋沢は秀吉を評価するだけではなく、「決断力が鈍った」晩年の秀吉についても口述していることに着目し、「処世の大道」として晩節のあり方、重要性を示唆していると解説します。

「処世の大道」から学ぶ 第6話「伊藤博文と栄一翁」

TOKAI RADIO 2025年6月16日放送

明治憲法制定の中心人物であり、初代内閣総理大臣を務めた伊藤博文を、渋沢栄一は「激しい議論家」と評しています。議論を制し統合する伊藤の能力は、幕末までの封建社会から政府、議会制度へと大きな転換を行なった国にとって必要とされていました。
橋口教授は、相手を論詰するだけではなく人の心を掴み、信頼を得ていた伊藤が「処世の大道」で取り上げられている真意は、時代を切り拓いた同志として渋沢自身と重ね合わせているのではないかと読み解きます。

「処世の大道」から学ぶ 第5話「高杉晋作と栄一翁」

TOKAI RADIO 2025年6月9日放送

渋沢栄一は自著「処世の大道」の中で、尊王攘夷志士高杉晋作に言及しています。その記述から、渋沢が捉えた高杉の人物像のポイントとして、橋口教授は「義と利の分離」を挙げます。これは渋沢の「道徳と経済の合一」に対置する観点であり、その対比から高杉が依拠した武士道と行動原理を導き出します。
伊藤博文は「動けば雷電の如く発すれば雷雨の如し...」と評したように、強い信念と行動力で西欧列強から日本を守るという志を貫徹した高杉を、かつては攘夷志士であった渋沢栄一翁は自身の生き方と照らし合わせます。

「処世の大道」から学ぶ 第4話「徳川慶喜と栄一翁」

TOKAI RADIO 2025年6月2日放送

「処世の大道」の英雄シリーズ、今回は渋沢栄一の主君であった徳川慶喜です。
「敗者の偉人」とも称される慶喜は幕末期の西欧列強からの貿易、外交圧力の高まりによる国内の混乱を鎮めるために、江戸幕府最後の将軍として国家主権を円滑に明治政府へ移行させ、近代国家への道を開きました。 伝記「徳川慶喜公伝」を遺した渋沢の慶喜に対する人物像を、橋口教授は「バランス・見切り・寡黙」として、時代を見据え「最後の将軍」の責務を全うした慶喜の姿を浮き彫りにします。

「処世の大道」から学ぶ 第3話「大久保利通と栄一翁」

TOKAI RADIO 2025年5月26日放送

「処世の大道」を読み解くキーワード「英雄の条件」、その英雄の2人目は大久保利通です。渋沢栄一と大久保の出会いは、西郷隆盛と同じく渋沢が明治政府の官僚を務めていた明治4年頃です。
当時大久保は、明治政府内務卿(現在の首相格)として日本を先進国に成長させて西欧列強による植民地化を回避しなければならないという強い使命感を持ち、まだ若く改革意欲に満ちた渋沢と激しく衝突します。 その時のことを回顧する渋沢の口述から、橋口教授は大久保の人物像を「ミステリアス・寡黙・芯の強さ」と導き出し、渋沢が大久保を英雄として「処世の大道」に記した意味とその大久保の生き方を考えます。

「処世の大道」から学ぶ 第2話「西郷隆盛と栄一翁」

TOKAI RADIO 2025年5月19日放送

橋口教授が「処世の大道」を読み解くキーワードの一つに設定した「英雄の条件」は、明治期に活躍した英雄・偉人と直接の関わりを持った渋沢栄一が、その英雄たちの人物像を「生身の人間」として口述した箇所を集約して、英雄たらしめたその生き方から「処世の大道」を導き出します。
「処世の大道」の「英雄の条件」で最初に取り上げる西郷隆盛は、明治4年頃明治政府参議(現在の総理大臣)の地位にあり、渋沢は官僚として度量衡や税制など国家の根幹法案を策定していた時に2人は出会いました。 その出会いを回顧する渋沢の口述から、西郷の人物像を3つのポイント「素直・寡黙・謙虚」で捉え、英雄・西郷隆盛の人格と生き方を渋沢の視点から学びます。

「処世の大道」から学ぶ 第1話「集大成・英雄・生き方」

TOKAI RADIO 2025年5月12日放送

渋沢栄一の口述筆記に渋沢自身の校閲が加えられた「処世の大道」。渋沢の道徳観と経済理念をジャーナリスト野依秀市がまとめ1928年に刊行されました。昨年、新たに注釈を加え「現代語版 処世の大道」としてより理解しやすい書として発刊されました。
橋口教授は「処世の大道」に3つのテーマ、「渋沢の集大成」「英雄の条件」「よく生きるとは」を設定してこの書の読み解き方を提示します。

橋口ゼミ 深谷渋沢班の研究「渋沢翁と地域活性化」

TOKAI RADIO 2025年5月5日放送

2025年2月10日に深谷市役所で、橋口ゼミ深谷渋沢班が深谷市の地域活性化を課題にした調査研究の成果発表を行いました。ゼミ生たちは商店街や企業、農家、道の駅などを調査し、深谷市の偉人渋沢栄一の一万円札発行による地域への影響と、人口減少や若者の流出などの課題を客観的な視点で問題提起しました。
参加した住民からは忌憚のない意見が出され、発表会は地域活性化を考える議論の場となり、今後も研究を続けるゼミ生たちは具体的な解決策の提案を求められ、より地域に根ざした研究をするための指針を得ました。

共創対談 第4話「渋沢栄一塾が伝えること」

TOKAI RADIO 2025年4月28日放送

渋沢栄一が説いた「論語と算盤」や「道徳経済合一説」など経済理念は、先人たちの「知恵」の蓄積を渋沢自身の実践と反省によって再構築したものと言えます。渋沢はその揺るぎない理念によって、貧富の格差や利己的な経済競争など社会問題の解決に生涯をかけて取り組みました。その生き方は現代にこそ必要な「手本」として注目されています。
井上顧問と橋口教授は、渋沢の苦悩や喜びに共感することでその行動原理を深く学び、実践してそのフィードバックを重ねることによって「今を生きる渋沢栄一像」を更新しながら渋沢の「知恵」を共有して活かしていく、それが「渋沢栄一塾」の役目だと語ります。

共創対談 第3話「福沢諭吉と渋沢栄一:学問と実業の融和」

TOKAI RADIO 2025年4月21日放送

福沢諭吉と渋沢栄一の最初の出会いは明治6年ごろとされています。当時、福沢はすでに幾度も欧米を視察し、蘭学塾として慶應義塾を創設しており、一方、渋沢は幕臣としてのヨーロッパ視察を終え、明治政府に出仕していました。
この出会いの様子を渋沢は、欧米社会の先進性を熱心に語る福沢を「一風変わった人」と評したことから、2人には隔たりがあったことを思わせます。
しかし、学問を商工業・実業に活かして近代化に取り組む福沢に対して、実践主義者である渋沢は「生きた学者」として共感を寄せるようになります。やがて福沢の説く「独立自尊」が渋沢の目指す近代化に欠くことができない思想として後進の育成に取り入れ、渋沢自らが「独立自尊」の伝承者となります。
福沢の没後、渋沢は「もっと福沢先生を理解しておくべきだった」と語ったと伝えられています。

共創対談 第2話「『論語と算盤』の真意

TOKAI RADIO 2025年4月14日放送

渋沢栄一の代表的な著作『論語と算盤』は、長らく経営理念書として読み継がれてきました。しかし、渋沢が経済と道徳とを結びつけて論じていることから、近年では経済活動を含めた「生き方の指南書」として再評価されています。
共創対談・第2話では、相反する性質を持つ道徳(論語)と経済(算盤)を、なぜ渋沢が一致させる必要があったのか――その背景を、当時の時代状況や世相、さらには国際社会における日本の立ち位置と照らし合わせながら考察します。そこから見えてくるのは、渋沢が抱えていた「ジレンマ」と「責任感」、そしてそれらを通じて浮かび上がる『論語と算盤』の真意です。

共創対談 第1話「シン・渋沢栄一」

TOKAI RADIO 2025年4月7日放送

渋沢史料館井上潤顧問と慶應義塾大学橋口勝利教授による対談の第1回目です。
二人に共通する渋沢栄一研究の立脚点は渋沢を一人の人間として捉えることです。渋沢の驚異的な数の事績は史料に記されていますが、事業推進の原動力となる決断力、人材の統合力の源泉となるその人格、人間力については史料の「行間」を読み解く必要があります。 
橋口教授は渋沢の持つ「矛盾」には多様な解釈が可能であり、その追求によって人間性の深みに触れることができることを研究の魅力とし、井上顧問は史料を読み込むほどに渋沢の人間像が更新されるため、渋沢を語ることには慎重にならざるを得ない「奥行き」があり、ライフワークとして渋沢研究を続けてシン(新)・渋沢栄一を伝えていきたいと語ります。

渋沢栄一の生涯を読み解く第19話「次世代の育成」

TOKAI RADIO 2025年3月31日放送

渋沢栄一が生涯を通して取り組んだ事業は産業と福祉、そして教育でした。当時、商売を卑しい行為だと蔑む賤商意識が近代化推進の障害となっていることを懸念した渋沢は、西洋の商法・経済を学ぶ教育機関が必要だと考えます。
明治8年に森有礼が設立した私塾商法講習所の運営を明治9年に引き継いだ渋沢は、廃校の危機を乗り越えながら東京商科大学(現在の一橋大学)へと発展させます。 もう一つ渋沢が力を入れた教育は女子教育でした。女性はいわゆる「良妻賢母」であるべきという固定観念から脱却し、女性の社会進出を図るため東京女学館、日本女子大学に関与します。
渋沢は論語の道徳観を堅持しながらも、時代の潮流に合わせた国づくりのため人々の意識変革を推し進めました。

渋沢栄一の生涯を読み解く第18話「老子爵の『義務』」

TOKAI RADIO 2025年3月24日放送

明治初期の日本は経済発展により富者と貧困者の格差が広がり、経済力を持たない生活困窮者を保護する行政施作に対し「困窮者は『惰民』であり、税金で『養成』してはならない」というマスコミや議会議員を中心に発せられた世論によって福祉予算が廃止される時代でした。
渋沢栄一は弱者切り捨ての世相に真っ向から反対し、日本は経済の豊かさと平和で安心して生活できる社会を併せ持った国でなければならないという理念と、資本主義社会の負の現実とのジレンマに悩まされながらも生涯にわたって福祉に尽力し、日本に福祉社会を根付かせました。 最晩年の渋沢は、社会福祉事業は私の義務であると語り、91歳で生涯を閉じるまで養育院(現在の東京都健康長寿医療センター)の院長を務めました。

渋沢栄一の生涯を読み解く第17話「民間外交の先導者」

TOKAI RADIO 2025年3月17日放送

明治40年頃の渋沢の懸念の一つに、日本人移民排斥を契機とする日米関係の悪化でした。アメリカとの平和的経済関係を重視していた渋沢は、明治42年に渡米実業団を組織して、アメリカ各地の要人との直接対話による関係改善を目指しますが成果を出すことができず、大正13年にはアメリカで排日移民法(1924年移民法)が成立し、官民一体となって関係改善に取り組むことになります。
そして昭和2年、日米の人形を交換する友情人形「青い目の人形」による親善事業がアメリカ人宣教師シドニー・ギューリックと渋沢、政府との協働により行われます。この事業は「草の根」民間外交、交流として拡大し、90年を経過した現在も友情人形をシンボルにした平和イベントが続けられています。

渋沢栄一の生涯を読み解く第16話「『論語と算盤』を著す」

TOKAI RADIO 2025年3月10日放送

渋沢栄一の主著「論語と算盤」は1916年、渋沢が76歳のときに刊行されています。実践主義を貫いた渋沢は、実業界の現役を引退するまで商業道徳観、実業理念を言葉で表すことは僅かでした。 しかし、1900年代初頭の世相は日清・日露戦争の勝利による国民の慢心と戦後不況により、人々のお金への執着が顕著になり、若者を中心に自己利益を追求する「立身出世」や個人主義が横行します。
渋沢は公益経済の大切さを忘れたこの状況に強い危機感を持ち、道徳に基づく「正しい利益」を説く精力的な講演活動を行い、「論語と算盤」としてまとめられることになります。

渋沢栄一の生涯を読み解く第15話「財界を『集結』する」

TOKAI RADIO 2025年3月3日放送

近代経済社会の構築に奔走する渋沢栄一は、大隈重信から経済団体の創設を依頼されます。かねてから経済界をまとめる組織の必要性を熟知していた渋沢は、早速政府からの補助金を受け大倉喜八郎、益田孝らと協働して明治11年に東京商法会議所、現在の東京商工会議所を設立します。
渋沢が求めた商法会議所の役割は、財界の意見を集結することによって経済を発展させること、経済界を代表する「窓口」を設置することによる政府との円滑な協調、また海外との不平等な通商条約を改正するために必要な日本の「世論」の根拠とすることでした。 東京商法会議所が創設されたその3年後、明治14年には全国34ヶ所に商法会議所が設置されます。

渋沢栄一の生涯を読み解く第14話「製紙会社の設立」

TOKAI RADIO 2025年2月24日放送

渋沢栄一は明治6年に第一国立銀行を創業し資金の流れの基礎を築いたのち、製紙会社を設立します。「情報」の重要性を熟知していた渋沢は、短時間に大量の情報流通を可能にする印刷技術が近代化には不可欠だと考えていたため、印刷に適した紙「西洋紙」を国内で生産することを計画します。
その製紙会社(のちの王子製紙)は大資本と輸入された先進の製紙機械や、海外技術者を高給で雇入れて創業しますが、職人の養成と西洋紙の原料調達に難航します。 10年ほどの困難の末、事業が軌道に乗りはじめると、経営権をめぐって内部対立が起こり、渋沢は製紙事業を存続させること、社会を豊かにするための公器の役割を保つことを条件に経営から身を引きます。

渋沢栄一の生涯を読み解く第13話「銀行の設立と近代化構想」

東海ラジオ2025年2月17日放送

 渋沢栄一が政府官僚から実業界に足を踏み入れた明治初期の商工業は、小規模な事業が中心で西洋先進国のように国力を高めるものではありませんでした。1867年のヨーロッパ視察で商工業の発達と国家の発展との相関関係を体感した渋沢は、小さな資本を集めて大きな経済活動を行う、その大河の流れを作り出す「銀行」と、大資本による事業体「株式会社」を日本に根付かせるために奔走します。 その近代化構想の具現化として、1873年(明治6)三井組と小野組が大口出資者となり第一国立銀行が株式会社として設立され、渋沢は総監役に就任します。渋沢は第一国立銀行の開業式で、民間企業でありながら国の発展のために事業を行う決意を「私ヲ去リ、公ニ就ク」と語ったと伝えられています。

渋沢栄一と伊藤伝七

東海ラジオ2025年2月10日放送

1914年大阪紡績と三重紡績の合併により東洋紡績(現在の東洋紡)が設立されました。この日本の産業革命を象徴する紡績業の拡大には渋沢栄一が深く関与しています。 1882年三重県四日市市に設立された三重紡績の創業者伊藤伝七は、苦しい経営を強いられ事業が難航しますが、渋沢のと邂逅を契機に国内有数の紡績工場に発展し、大阪紡績との大合併を成します。
渋沢は三重紡績だけでなく物流の要衝である四日市と中京圏の発展を目論み、第一国立銀行四日市支店の開設や、私財を投げ打って四日市港を修港した稲葉三右衛門ら四日市財界との協働など、四日市地域との関わりが伝えられています。

ブームから「学び」へ

東海ラジオ2025年2月3日放送

 40年にわたって渋沢栄一を研究してきた渋沢史料館井上潤顧問にとっても、2024年新紙幣発行の渋沢ブームの拡がりは経験したことがないものでした。 その熱気が現在でも続いていると感じている井上顧問は、これからは渋沢の理念を体得する次のステップ「学び」に移行し「渋沢栄一の顔を見ただけで渋沢の『想い』を心を馳せることができる」ほどに社会に浸透させたいと意気込みを語ります。

渋沢栄一との由縁を未来に

東海ラジオ2025年1月27日放送

渋沢栄一を郷土の偉人として敬重してきた深谷市にとって、2024年の新一万円札の発行は渋沢を全国に知らしめる一大イベントでした。深谷市小島進市長は、このイベントを一過性のものとせず持続させるには、渋沢の「精神」から学ぶことが大切だと語ります。その精神とは、時代に合わせた「工夫」によって、誰もできなかったことを成した柔軟性と、人々のために必要な事業を行うという根本理念であり、それを学び、行政が実践することで市民が誇りを持てる地域を目指しています。

渋沢栄一を学び、地域をつなげる

東海ラジオ2025年1月20日放送

埼玉県深谷市は、2012年に教育委員会が小学生の道徳教材として「渋沢栄一こころざし読本」を編集刊行して以来、小中学生に「忠恕の心」を学ぶ授業を続けています。2019年に渋沢栄一が新一万円札肖像画に決定した当時は、生徒たちは大人たちよりも郷土の偉人について語ることができたそうです。 小島進市長は、子どもたちの視野を広げ、深谷市の良さを再認識できるように、渋沢にゆかりのある地域との交流を進めたいと語ります。

渋沢栄一を郷土の誇りへ

東海ラジオ2025年1月13日放送

深谷市は2024年7月に新紙幣発行記念として、カウントダウンイベント、市主催のビアガーデン、祝賀パレードや花火大会など、渋沢栄一を中心にして市民が集うイベントを多数開催しました。 子どもたちが胸を張って深谷の自慢をしてほしいと願う小島市長は、現代に再評価される渋沢栄一の故郷として市民に誇りを持ってもらう啓発活動を精力的に進めています。

人をつなぐ新一万円札

東海ラジオ2025年1月6日放送

渋沢栄一の故郷埼玉県深谷市では学校教育に渋沢の足跡と理念を学ぶ教科が取り入れられており、市民に郷土の偉人として浸透しています。深谷市は2019年に渋沢が肖像画に選定されたことを契機に偉人渋沢栄一の対外発信に力を入れてきました。その発信の推進役、小島進市長も渋沢の理念に共感を寄せるその一人です。 2024年7月の新札発行、そして現在までの深谷市の取り組みと、新札の「若番」をめぐる「事件」から、深谷市民の期待に積極的に応えてきた小島市長の渋沢への想いを語ります。

渋沢栄一と福沢諭吉「独立自尊」の伝承 第13話「新紙幣への願い:『個』と『和』の時代へ」

東海ラジオ2024年12月30日放送

「和を以て貴しと為す」を唱えた聖徳太子、「独立自尊」の福沢諭吉、「論語と算盤・忠恕」の渋沢栄一へと受け継がれた一万円札肖像画偉人の根幹思想と、発行された時代の関連を考察することで、日本社会が目指すべき価値観、哲学を読み取ることができます。
戦後復興の「和の時代」、経済大国として成熟した「個の時代」、そして社会の分断や過度な経済優先世相が引き起こす社会問題が顕著化する現代日本に、「和と個」を進化、調和させる「忠恕」の実践が求められています。

渋沢栄一と福沢諭吉「独立自尊」の伝承 第12話「はき違えの独立自尊:合本主義の時代へ」

東海ラジオ2024年12月23日放送

明治26年(1893)の時事新報に掲載された福沢諭吉の論説には、福沢の渋沢栄一に対する評価が記されています。 この論説から、産業革命期の渋沢の実業界での立ち位置と、実業界の実情を読み解き、のちに独立自尊の継承者となる渋沢の転換点を探ります。

渋沢栄一と福沢諭吉「独立自尊」の伝承 第11話「新時代の経営者像:福沢諭吉と『士流学者』」

東海ラジオ2024年12月16日放送

明治期の企業は、近世以来の「身分」により職能を制限する慣習が残っていたため、経営は有力者や名望家が行っており、社会的地位を持たない人材は能力があっても経営権を得ることができませんでした。 福沢諭吉は、新しい時代の企業には専門的な知識を持った経営者「士流学者」が必要だと考えていました。
この考えには独立自尊、個人の力が国を豊かにすると信じる福沢の思想が表れています。 経営権を獲得した先駆的「士流学者」は、渋沢栄一が推し進めた合本思想の「弊害」、利益追求型のステークホルダーからの経営圧力に苦しみながら近代企業を大きく発展させます。

渋沢栄一と福沢諭吉「独立自尊」の伝承 第10話「資本主義への道標:儒教的功利主義」

東海ラジオ2024年12月9日放送

福沢諭吉が説いた個人の確立が「功利」の追求に「暴走」しかねない現状を危惧した渋沢栄一は、儒教を基にした公共道徳に「ブレーキ」としての役割を持たせようとしました。この経済活動と儒教的道徳を融合させる理念を日本経営史学者由井常彦氏は「儒教的功利主義」と名付けています。「論語と算盤」を「儒教的功利主義」と表現することで、企業の社会的信用が事業の成長、存続を促し、個人だけではなく国を豊かにすると考えた渋沢の思想、「正しい」資本主義のあり方を具体的に捉えることができます。

渋沢栄一と福沢諭吉「独立自尊」の伝承 第9話「独立自尊と近代:個人と社会」

東海ラジオ2024年12月2日放送

渋沢栄一と福沢諭吉は、合理的に日本の近代化を進める目的は同じでしたが、近代社会理念の根源を忠恕の「社会」か独立自尊の「個人」どちらに置くか意見が対立していました。 このことは二人の倫理観や哲学の相違であり、社会的価値観の転換を求められていた当時の人々の課題でもありました。
 西洋思想によって強力に近代化を進めようとした福沢と、伝統的思想を基にして社会変革に対応しようとした渋沢の対立は、時代を経ても「個人と社会」のあり方を問い続けています。

渋沢栄一と福沢諭吉「独立自尊」の伝承 第8話「渋沢栄一と『忠孝』:福沢諭吉『舌禍事件』」

東海ラジオ2024年11月25日放送

渋沢栄一は自著「福沢先生及び独立自尊論」の中で、明治7年に福沢諭吉が引き起こした舌禍事件を取り上げ、儒教的「忠孝」と新時代の「個人主義」のバランスの取り方を問いかけています。 渋沢は、価値観の転換を強いられ、近代化に対応せざるを得ない人々に対して、独立自尊と儒教的な思想を共存させる道筋を示します。

渋沢栄一と福沢諭吉「独立自尊」の伝承 第7話「渋沢栄一を伝える教育:八基小学校」

東海ラジオ2024年11月18日放送

渋沢栄一の理念を学ぶ教育で知られる、深谷市八基(やつもと)小学校を橋口教授と橋口ゼミの学生が視察しました。 八基小学校の生徒たちは、6年かけて藍の栽培から情報発信まで渋沢の生涯を辿りながら「立志と忠恕」を学びます。地域と行政が一体となって渋沢の偉業を伝え残していく教育は、その理念が社会へ広がる可能性に満ちています。

渋沢栄一と福沢諭吉「独立自尊」の伝承 第6話「深谷市市長表敬訪問」

東海ラジオ2024年11月11日放送

2024年7月3日に東証アローズで行われた一万円札肖像画引継式で、慶應義塾大学橋口ゼミの学生が深谷市小島進市長へ取材したことがきっかけとなり、2024年10月3日にゼミ生が小島市長を表敬訪問しました。
 地域活性化を研究課題にしているゼミ生たちは、渋沢栄一の一万円札が発行されて3ヶ月後の現在の「新肖像画の効果」を小島市長に問います。

渋沢栄一と福沢諭吉「独立自尊」の伝承第5話「『独立自尊』の継承:新時代へのメッセージ」

東海ラジオ2024年11月4日放送

渋沢栄一が「福沢先生及び独立自尊論」を発表した1917年(大正6)の日本は、西洋に並ぶ近代国家が成立しつつありました。 日本の産業、商業の拡大成長に慢心する経済人に対し、渋沢は著書の中で「穿き違への独立自尊」と批判し、東洋的な謙譲の心を忘れてはならないと指摘します。 渋沢は独立自尊を否定したのではなく、「穿き違へ」た経済人の慢心による自己利益を目的にした事業活動が、貧富の差の拡大させ、ひいては国の存亡に関わるとして、謙譲の心を独立自尊の「ブレーキ」として提示したと考えられます。

渋沢栄一と福沢諭吉「独立自尊」の伝承第4話「立身出世の時代:福沢諭吉、渋沢栄一を評す」

東海ラジオ2024年10月28日放送

明治26年、福沢諭吉は渋沢栄一の人物像を記した論説を時事新報に掲載しました。 その論説には、官尊民卑の世相に背き、信念を貫くために実業の道を独力で切り拓いた、独立自尊の体現者としての渋沢への賛辞が述べられています。 
また、全国に近代経済圏を創るために「第二の渋沢」と呼ばれる地方実業家を育成したことも評価し、福沢にとって渋沢は豊かな国づくりのための同志だったと読み取ることができます。

渋沢栄一と福沢諭吉「独立自尊」の伝承第3話「『独立自尊』の心得:福沢からの学び

東海ラジオ2024年10月21日放送

明治4年から6年頃、改正掛(現在の大蔵省官僚)として出仕していた渋沢栄一は、国家プロジェクトである度量衡制定のために、すでに学者として名を馳せていた福沢諭吉に助言を求めたことがふたりの最初の出会いだったと推定されています。 
後年、その時の様子を振り返る渋沢は、福沢を「一風変わった人だった」と評します。その言葉は、当時の急激な時代変化の影響が及ぼした日本社会を覆う「卑屈さ」を喝破し、新時代のために「独立自尊」を説く「生きた学者」の特異性を表し、渋沢の福沢への敬意が込められていると解釈することができます。

渋沢栄一と福沢諭吉:「独立自尊」の継承第2話「新紙幣への継承」

東海ラジオ2024年10月14日放送

福沢諭吉から渋沢栄一へと一万円札肖像画が引き継がれたことをきっかけに、同時代を生きた2人の偉人の思想を読み解くシリーズの第2話です。 
「青淵先生と福沢先生観」の中で渋沢は福沢を西郷隆盛、日蓮に比肩すべき偉人と評しています。
 大正6年に渋沢が語った「福沢先生及び独立自尊論」には福沢への惜しみない賛辞と同時に、福沢が思想的根拠とする西洋様式と渋沢が堅持する東洋思想の相反が記されています。

渋沢栄一と福沢諭吉「独立自尊」の伝承 第1話「新紙幣誕生」

東海ラジオ2024年10月7日放送

2024年7月3日、新紙幣発行に合わせて東京取引証券所・東証アローズで新一万円札引継式が行われました。式では福沢諭吉の故郷、大分県中津市・奥塚正典市長、渋沢栄一の故郷、埼玉県深谷市・小島進市長をはじめとする、偉人ゆかりの企業や学者が集い、近代偉人が遺した思想、理念を受け継ぐ象徴的な式典となりました。 
その式典に、地域活性化や経済史を研究する橋口教授のゼミ生が参加し、奥塚市長、小島市長に偉人の理念をどのように後世に伝えていくのか質問しました。

渋沢栄一の生涯を読み解く第12話「近代国家の基礎を築く」

東海ラジオ2024年9月30日放送

渋沢栄一は明治2年、政府民部省に新設された改正掛の掛長に就任します。当時の精鋭人材が集められた改正掛を取りまとめる渋沢は、郵便、銀行、貨幣、鉄道、太陽暦、度量衡、公営事業など重要な社会基盤となる、およそ200の制度をわずか2年間で制定します。 
また、改正掛は政府シンクタンクの役割があり、各省庁の組織作りを手掛けるなど、近代国家に大きな影響を与えます。 
官僚として成果を挙げた渋沢は、富国強兵政策に前のめりになり歳出過多を続ける政府との対立により、明治6年、官僚を辞し実業家として歩き出します。

渋沢栄一の生涯を読み解く第11話「挫折と葛藤と忍耐」

東海ラジオ2024年9月23日放送

渋沢栄一は最初の事業となる商法会所を軌道に乗せ、民間事業の規範として全国への展開を目指します。その矢先、明治政府から民部省租税正(現在の主税局長)として出仕を強く要望されます。ヨーロッパ視察で、民間事業の力強さを実感した渋沢は、頑なに出仕を断ります。
しかし、政府からの依頼を断り続けることが、主君だった徳川慶喜や静岡藩へ影響を及ぼすことを懸念し、当時、民部大輔だった大隈重信に直談判に向かいます。
 大隈は渋沢に、国の基盤を整備しない限りは、民間事業も育たないと説得します。渋沢は大隈の考えを受け入れ、明治2年から4年間、政府役人として租税法、度量衡の制定など国の根幹を作ることになります。 29歳で政府に出仕した渋沢は、挫折と葛藤を乗り越え、強い国を作るという目的のために忍耐を重ね、責務を全うします。

渋沢栄一の生涯を読み解く 第10話「実業界への出帆」

東海ラジオ2024年9月16日放送

ヨーロッパ視察から戻った渋沢は、主君徳川慶喜への報告を終えると官途を断ち実業家への転身を宣言します。 当時の経済界は小売業や金貸業が中心で、人々には「賤商意識」があり、エリート官僚の道を捨てることは大きな決断でした。
 時同じくして明治政府が発行する紙幣の流布を目的にした政府貸付(石高拝借金)が静岡藩に53万両割り当てられます。資本の活用に戸惑う人々を尻目に、渋沢は藩との繋がりを生かし、貸付金を運用する「商法会所」を立ち上げ銀行・商社業務を行います。 渋沢が商法会所頭取として実業の道を歩み出したのは、帰国後わずか数ヶ月後のことです。

渋沢栄一の生涯を読み解く 第9話「目的意識と実行力」

東海ラジオ2024年9月9日放送

渋沢栄一が徳川昭武の随行員として、1867年から約1年半ヨーロッパに滞在しました。先進国を視察したこの経験が帰国後、民間に下りさまざま事業を起こす基礎となります。 
渋沢は、パリでナポレオン3世の演説を聞いた翌日、その演説が新聞に掲載されるという情報流通の早さに感銘を受けます。「情報」の重要性を熟知していた渋沢は、この体験が後に製紙業、新聞社を興すきっかけになります。 また、ベルギーでは国王と接見したとき、当時14歳の昭武に対し国王自らが自国産業の製鉄のセールスを行う姿を見て、国力とは政治、軍事、そして経済が作り出すものであり、豊かな国づくりのために、官と民が力を合わせる必要性に気付きます。

渋沢栄一の生涯を読み解く 第8話「福祉事業の起点」

東海ラジオ2024年9月2日放送

渋沢栄一がヨーロッパ先進国から学んだことは産業、経済社会だけではありませんでした。フランス・パリのナポレオン1世が眠る教会を含む「アンヴァリッド」と呼ばれる一帯にある廃兵院では、戦争で傷を負った人々の社会復帰の支援も行なっており、その仕組みに渋沢は感銘を受けます。また、動植物園や競馬場などの娯楽施設が社会福祉に還元されていることにも着目します。 20代後半の青年、渋沢は人々の「豊かさ」を実現するためには経済活動の発展だけではなく、福祉事業の重要性にも気付き、生涯を通じて多くの福祉事業も展開することになります。

渋沢栄一の生涯を読み解く 第7話「合本思想の起点」

東海ラジオ 2024年8月26日放送

 1867年パリ万博に向かう渋沢を乗せた船はスエズ湾を北上しスエズに上陸、鉄道に乗り換え地中海の港町アレキサンドリアに向かいます。渋沢はその道中で見た建設中のスエズ運河(1869年開通)の事業規模の大きさに驚き、そして、日本の近代化には民間の資本を集めてこそ可能になる大事業、その経済的仕組みが不可欠だと気付きます。また、スエズ運河がもたらす公益性にも着目し、この旅程での経験が渋沢の「合本」思想の原点となります。

渋沢栄一の生涯を読み解く第6話「パリ万博へ出立」

東海ラジオ 2024年8月22日放送

徳川慶喜が第15代将軍に就任した1867年、ナポレオン3世よりパリ万博への出席を要請され、慶喜は弟の徳川昭武を名代として使節団を派遣します。渋沢は庶務会計係として随行し、詳細な日記を残しています。そこには、航海中に提供される西洋料理や飲み物、寄港した国々の様子が渋沢の目線で描かれています。
 ほんの数年前まで攘夷志士として西洋を敵視していた渋沢が、積極的に西洋文化を吸収しようとするその「転身」からは、より良い国を造るという目的のためには、最善の方法を見極め、手段を変える事ができる渋沢の柔軟性が伺えます。

渋沢栄一の生涯を読み解く 第5話「一橋家の敏腕家臣」

東海ラジオ 2024年8月17日放送

 一橋家家臣平岡円四郎に見出された渋沢は、一橋家当主徳川慶喜(のちの第15代将軍)の家臣となり軍備増強や財政改革を成し遂げます。 軍備増強のための農兵募集を願い出た渋沢は、それまでの強制的な徴兵ではなく農民と対話し、志を説くことで自発的な協力を促し、また財政改革では安定した経済活動を確立させました。 この功績は、郷土血洗島で培った情報収集能力、実践主義によって実現したと考察できます。

渋沢栄一の生涯を読み解く 第4話「先を見据える」

東海ラジオ 2024年8月5日放送

青年期の渋沢栄一は幕末の身分制度、官尊民卑に対して疑問を持ち、開国以来高まる欧米列強の圧力から国を守ため尊王攘夷活動に傾倒します。しかしその活動の現実を知り、自分の目的は命を捨てることではなく、自らの手で国を変えることだと考え至ります。その後御三家の一つ、一橋家に仕官し、のちの偉業の道筋をつけることになります。 攘夷志士から幕臣へ。それはより良い国づくりへの情熱と、情報を収集し、冷静に考え、すべきことを見通す力が発揮された転換です。

渋沢栄一の生涯を読み解く 第3話「尾高惇忠の『育教』」

東海ラジオ 2024年7月29日放送

多岐にわたる企業・団体に関わった渋沢栄一の柔軟な思考の原点は、青年期の恩師、尾高惇忠の教育にあると考えられています。尾高塾の教育の特徴は、塾生自らが徹底して考え理解すること、また塾生の好奇心を尊重し、興味を持った事柄を学ぶことを奨励したことにあります。
 時には「無節操」とまで言われる渋沢の旺盛な起業活動は、国のあり方を俯瞰し、膨大な情報を集め、渋沢自らの試行錯誤の結果であると推察すると、広い見識と洞察力に着目した尾高の「育教」は、渋沢の事績へ大きく影響したと言えます。

渋沢栄一の生涯を読み解く 第2話「実践主義の原点」

東海ラジオ 2024年7月22日放送

渋沢栄一が説いた「実践主義」の原点は血洗島村にあったと考えられています。父・市郎右衛門から経営と地域社会のあり方を、母・ゑいから慈しみの心を自ら学んだ渋沢栄一は、両親のもとでその学びを実践し、後の偉業の基礎を固めます。由緒ある渋沢家を担う自覚と両親からの学びが、日本という大きな「近代家族」を導くことになります。

渋沢栄一の生涯を読み解く 第1話「地域経済の要衝『血洗島』」

東海ラジオ 2024年7月20日放送

渋沢栄一の故郷、血洗島は中山道深谷宿として栄えました。また水運の拠点として商業活動が行われていました。血洗島の土壌は稲作に不向きで、年貢を米の代わりに通貨を納めていたため、時代に先駆けて通貨経済を発達させていました。日本経済を形作った渋沢栄一は、幼少期から経済社会に慣れ親しんでいたと考えられています。

持続可能な社会を目指す

東海ラジオ 2024年7月8日放送

井上顧問が渋沢研究を続けきた中で見えてきた社会の傾向の一つとして、経済が不安定になると渋沢栄一に関心を持つ企業人が増えるそうです。 その理由の一つに渋沢が「日本資本主義の父」だからではなく、企業の社会的責任とその倫理の実践者として残した事績にあると推定されます。
「正しい」利益追求にこそ持続可能だと説いた基底には論語があり、その渋沢の哲学は100年の時を経てもなお求められています。

過去の知恵は現代の学び

東海ラジオ 2024年7月1日放送

渋沢史料館井上顧問が大切にしている研究理念は「今見えることから過去を掘り下げる」。渋沢栄一を現代に照らし合わせてこそ学びがあります。これから始まる渋沢栄一塾の第1回目。

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